料理サロン La cucina di Giulio

カテゴリ:イタリア入院生活の思い出( 7 )

イタリア入院生活の思い出 最終話

お待たせしました。いよいよ最終回です。
実は7年前に入院した11月4日に合わせてUPさせようと待っておりました。
続き物ですので初めての方は最初から読むことをお奨めします。
ちなみに勝手ながらこの全入院話に関しては退院した記念日の11月8日を持って公開を終了させて頂きますのでご了承下さいませ。


*  *  *  *  *  *  *  *  *  *


さて、先生が退院出来るかもしれない、と言っていたのはその翌日のこと。お会計問題も決着した(?)私の中ではもうすっかり退院できるものだと思っていたのだが、朝の回診に走ってきた先生は、カルテを見ながら”う~ん、やっぱりもう少し休んだ方がいいかな?明日にしようか。”とあっさり退院を却下した。私の容態にはなんの変化もなかったし、残るのに依存はなかったけれど、このフレキシブルな態度って日本ではないだろうな~、などとまた考え込んでしまうのだった。

ところがお昼を食べ終えた段階で、何故か先生が戻ってきた。そして唐突に、”君、やっぱりもう大丈夫そうだからもう帰っていいよ。” とのたもうたのだ。だが、急に帰っていいと言われても、私にはここがどこだか分からない。ジュリオに電話すると、夕方6時になら迎えに行かれるからそれまで病院に居られるか頼んでみろ。”という返事。
ベッドが一杯だから追い出されるのかと思っていた私は恐る恐る訊いてみると、先生はあっさりとOKした。なんだったら明日の朝までいてもいいよ、とも言われた^^;?

夕方になってジュリオが迎えに来たので、先生にご挨拶しようと医務室を訊ねると、先生は看護婦さんたちと楽しそうにおやつを食べていた。回診の時にいつも走っていたのはこういう時間をくつろぐ為なのでは???と思わせるほどの和やかさだった。

先生は薬の処方箋を渡しながら、お会計問題はどうなった?と訊いてきたので、事情を説明すると、ちょっと考えた後、”すぐ戻ってくるから待っててね。”と医務室を出て行った。少しして戻ってきた先生の手には中がぎっしり詰まった紙袋が、、、それを私に差し出すと、
”まだ完治していないからあと2週間は抗生物質とそれに伴う薬の服用が必要だけれど、保険証がなければ薬の購入はとても高くつく。君にこれをあげるから役立てなさい。でも誰にも内緒だよ、絶対だよ。”と照れくさそうに言った。
見かけよりもやけに軽い紙袋の中身は、沢山の、沢山の薬の箱だった。それは製薬会社から病院に配布されるサンプルの抗生物質で、箱が沢山あるのはサンプルなので通常の一箱に一錠しか入っていないから。そして先生はそれをありったけかき集めてくれたのだった。
感動してお礼もろくに言えない私に先生は笑って言った。
”処方箋には2週間服用って書いたけど、実はちょっとそれには数が足りなかったんだ。でもここにある分を飲み終えたらもうそれで大丈夫だよ。だから薬は買わなくても大丈夫。”

先生、誰にも内緒だよって言われたのにこうしてブログになんて書いてごめんなさい。でもあの時のご親切をどうしても私は誰かに伝えたかった。こうして書いている今でもまだ涙が出てしまうけれど、私はあの入院生活で本当に思ったんです。イタリアは素敵だって。その前の病院はひどかったし、イヤなことも一杯あるし、ミラネーゼは冷たいけれど、でも何とかやっていけそうだわって。。。イタリア人は本当に弱い者には優しい、恐らく私の生まれ育った国よりもずっと。。。

医務室を出て病院を去る前にまだ一つ行く場所が残っていた。
遺失物管理係りである。行方不明になっている私のサボーを見つけなければならない。だが、膨大なコレクションを誇る遺失物置き場を見回してもついに見つけることは出来なかった。かくて私はこの数日でめっきり寒くなり、紅葉の終わりかけているミラノの街を誰がどう見ても靴にはみえない、アヒルの付いたスリッパで帰宅する羽目になったのであった。

あれから7年経った最近になってようやく先生があの時、3年後に検診に戻ってくるように言っていたのを思い出した。妊娠、出産でそれどころではないまま月日が過ぎたけれど、そろそろ検診がてら、あの先生の消息を尋ねにSaccoに戻ってみようかな、と思う今日この頃である。

                          

7回にも渡るお付き合い、ありがとうございました。
思い立つままに書いてしまいましたが、ご感想などコメントに残してくだされば嬉しいです。
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by giulio71 | 2008-11-04 05:32 | イタリア入院生活の思い出

イタリア入院生活の思い出その6

前回からの続きです。お話も終盤ですので、初めての方は1からお読みになって頂いた方がよろしいかと思います。

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翌日の朝、隣のベッドのコロンビア人の女の子は退院していった。
一人になってみるとだんだんお会計が心配になってきた私は回診に回ってきた先生に、自分は留学生できちんとした保険に入っていないけれど、どうなるのかを訊いてみた。先生は、自分はそうしたことは分からないので事務の人をよこすと言い、例によって白衣をひるがえして走り去っていった。

だが、待てども待てども誰もやってこない。どんどん不安が増した私はリハビリを兼ねて事務室まで行ってみることにした。どうも一つ下の階らしいからそう遠くもないだろう、と歩き始めたはよかったけれど、廊下の突き当たりがゆがんで見える。体は鉛のように重く、体力って衰える時はこんなに早いのか、呆然とした。そしてようやく事務室までたどり着き、窓口にいた女性に相談してみると、

大丈夫よ。払えない場合は領事館(ミラノなので大使館はない)に請求するから。”

とあっさり言われて仰天した。 入院費が払えなくて日本領事館に、つまり外務省に助けてもらうなんて、そんな恥ずかしいことは絶対にイヤだった。なんとしても自力で解決したい。では入院費って幾らくらいするの?と訊くと、”さあねえ、保険証を持っているイタリア人ならなにも掛からないけど、治療にもよるし、一泊1000ユーロってとこかしらね。” 1000ユーロ!?つまり5日間で5000ユーロにもなるわけだ。これならイタリア1のホテルの方が安かったかもしれない。。。

頼みの綱はこの怪しいINA保険のみ。保険を掛けるのに振り込んだ金額は75,000リラ、今の通貨で39ユーロほど。日本でこんなに安い保険があるだろうか?多分ないだろう。保険といえば聞こえはいいけど、実際には振込用紙を語学学校で貰っただけで、説明書も定款も一切なにも無かった。そんな怪しいものにお金を払いたくなかったけど、滞在許可証を申請するのに必要だったので、払ったまでだった。

そのお粗末な払い込み証をお財布から取り出して眺めているときちんとした身なりの男性(イケメン053.gif)が入ってきた。さっきから待ち焦がれていた事務の人だった。下で金額を聞いてすっかりめげていた私は再び事情を説明し、手にしていた払い込み証を見せると彼はそれを持って、
”大丈夫だよ。ボクは何人もの外国人を扱ってきているからね。これで何とか出来る様にやってみるから。”とウインクまでしてくれた。”で、でも。。。”と私は食い下がった。この国で大丈夫、と言われると絶対になにか落とし穴があるような気がして素直に従えないのである(汗) ”請求先も連絡先もなにも書いてないわ。どうするの?”と突っ込むと、彼は”INA保険の本社はローマにあるんだ。もう何度かやったことがあるから、そこに請求書を出すよ。なんとかなるさ。だめだったら君に連絡する。” と実に爽やかな笑顔で答えた。

そしてあれから7年の歳月が流れたが病院からは今だになんの連絡もない。あれで何とかなったのはSaccoの威力あればこそでは?と未だに思えてならない私である。

                      続く

次回でおしまいです。果たして涙の最終回となるか。。。?

長文お付き合い下さってありがとうございます。
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by giulio71 | 2008-10-30 01:41 | イタリア入院生活の思い出

イタリア入院生活の思い出その5

前回からの続きです。お話もそろそろ終盤。初めての方は1からお読みになって頂ければ幸いです。

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さて、病院の朝はこうして早いのだが、それに対して朝食は遅い。前日の夕飯が6時半くらいで9時半には消灯なら朝6時に起きても仕方ないが、ここから8時半までなにも食べられないのはちと哀しい。具合が悪いうちは食欲もないので問題ないが、妊産婦のように元気な場合は入院前にビスケットやブリオッシュを持参することを薦めたい。8時半まですきっ腹で待ってみてもどうせやってくるのはカフェラッテか紅茶としょぼいビスケット、運がよければブリオッシュ。こんなもんです。

そして朝食後しばらくすると医者が検診に回ってきます。私の担当医は若く、なかなか男前で私は先生が検診にやってくるのを心待ちにしておりました。でもとってもお忙しそうでいつも病室に走りこんできては私たちの状態を素早くチェックして、また走って行ってしまうのです。そのわりには息が切れていないので、よほど体力があるんだなって思っておりました。

そして楽しかったのがカモミッラ配りのおばちゃん!
病室をひとつひとつ回りながら、"ヴォレーテ カモミッラ?キ ヴォーレ カモミッラ?”と陽気にさりげなくドスの効いた声でハーブティーを配りにお昼前と午後に回ってくるのですが、まだ熱が多少あった私のハイな頭にはこの声と言葉の響きが可笑しくて、可笑しくて一人忍び笑いをこらえておりました。 今にして思うとなにがあんなに可笑しかったんだろうとも思いますが、イタリア生活も慣れてしまうと以前はあんなに笑えると思ったイタリア語の響きにも鈍感になってしまい、時に淋しくなります。 

それから忘れられないのが、偶然見つけたあの単語。
医療用語が全然分からなかった私は、入院中といえどもオチオチ休んでいられず、ベッドを起して辞書とにらめっこしておりました。私の持っている辞書は83年初版の小学館の伊和中辞典なのですが、お持ちの方、どうぞ867ページ、Medicina e Chirurgiaの真ん中あたりにご注目下さい。

logorrea 病的多弁症

これを見た時にはわが目を疑いましたが、瞬間的に怒涛のような笑いの渦に巻き込まれ、またしてもしばらく私は一人、虫けらのように笑い転げておりました。 盲腸でなくて本当に良かったと思います。ちなみにこの病的多弁症ですが、どうやらlogorrea、でなく、
logoroico/aが正しいようです。つまり男性ならロゴロイコ、女性ならロゴロイカ、イタリアにおいては知っていて損はない単語かと思います。そして残念ながら医学用語に関してはまだまだ改定の余地があるようにお見受けしました。

こうして中々楽しい入院生活が続いておりましたが、3日目に入ると先生があと二日で退院できるようなお話を始めました。でも私はまだ病院に居たかったんです。シガニーウィーパー、じゃなくて大家のいるあの寒い家に戻るのは不安だった。この病院に必死で連れてきてくれた時には命の恩人、と感謝もしましたが、彼女の立場としてはネーロ(税金を払わずに収入を得る事)で私から家賃を取っていたわけで、私の為に救急車を呼ぶ訳にはいかず、まして絶対に自分の家で死なれたりする訳にはいかなかった。おめでたい日本人の私は後でジュリオに解説されるまで、そんなことは夢にも思わなかったんですが、日頃の大家の人柄を考えると納得が行きました。
そんな理由もあって退院は不安でした。 第一まだ病室のトイレに行くのが精一杯で、廊下に出られるほどの体力もなかったんです。
そこで突然、お支払いの事を思い出したのです。イタリアでは救急病院で手当てを受けるのは旅行者であっても無料ですが、入院となるとどうなるのでしょう? この設備の行き届いた病院がイタリア1であることは聞いていましたが、ここが国立なのか、私立なのかも私にはわかっていませんでした。

                      続く

さてお支払いの行方はいかに???
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by giulio71 | 2008-10-28 01:45 | イタリア入院生活の思い出

イタリア入院生活の思い出その4

前回からの続きです。初めての方は1からお読みになって頂ければ幸いです。

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ダークスーツに身を固めたそう若くもないイタリア人男性二人は、どう見ても彼女の働くリストランテの同僚には見えない。給仕をするカメリエレでもコックでもなさげ。かといって雇い主風でもない。どうも日向から遠い匂いがする。004.gifどうやら彼女にこれ以上仕事や身の上話は訊かない方がよさげである。

そんなことを考えていると、看護婦が一人入ってきた。信じられないことに”明日のお昼と夜は何が食べたいか言ってね?”とにこやかに3種類ずつの選択肢からプリモとセコンドを選ばせてくれた。まるでリストランテなみである056.gif
その夜は都合上、前日私のベッドを退院して行った人が既に選んであったものを私が食べる羽目になったのだが、まあそんなことはどうでもよし。感動したのは病気で入院中だというのに飛行機で出されるような小さなボトルのワイン付き!069.gif
もちろん飲める状態の私ではなかったのだけど、ピッツァがどんっと出てきたのを見て、病院の食事というものが患者の健康状態を配慮して出される訳ではないことだけは確信した。

こうしてまったく退屈もしないうちにジュリオが面会にやってきた。私のパジャマや病院で履くスリッパを持ってきてくれたのだった。家を出るときに私はサボー(つま先は靴のようなつっかけサンダル)を履いていたのだが、車椅子からベッドに移動される時に紛失、そのまま行方不明になっていた。もしかすると日本人の哀しい性でベッドに寝かされると分かり自分で脱いだのかもしれない。(日本最初の汽車が出た後に草履が沢山残ってたって話思い出しますね^^)この一件プラダに見えるお気に入りのサボーがどこに消えたか訊いてみなくては。。。
やがて面会時間も終わり、横でハロースパンク(日本名、おはようスパンク)のように恋人生還の喜びに目をうるませているジュリオを追い出すと(多分あの病院に連れて行かれたのをちょっと根に持っていた)、長い一日を終えた私はやっと静かな眠りに付く事が出来た。もうくたくただった。


翌朝、6時。廊下でけたたましい音が聞こえ始めた。病院が機能を開始したようだ。疲れきっていた私はもう一眠りすべく、毛布をかぶろうとした瞬間、病室の電気が一斉についた。外はまだ暗いだけに眩しい事この上ない! そう思った瞬間、何人かの看護士がボンジョルノという言葉も終わらぬうちに入ってきて、私の毛布をいきなり剥いで、パジャマの袖を捲り上げるとすごい勢いで腕にゴムチューブをしたかと思いきや、注射針を差し込まれ一気に採血。。。
その後、驚くヒマもなく、耳に体温計を差し込まれ、ピッと音がしたかと思う間もないままに彼らは去っていった。
恐るべき、朝の挨拶。。。
そしてこの戦慄の挨拶は皆さんも想像する通り、退院するまでの5日間、毎日続いたのであった。そして大病院に付きもののインターンが多いせいか、その採血と注射の技術はお話にならず、最初の朝は運良く一発で上手く行ったものの、その後は私の”血管が細い”のを理由に(そんなわけないでしょ!)何度も失敗されてはやり直され、可哀想な私の腕は日に日にヤ○中患者のような針跡だらけになっていったのでした(涙)


次回へ続きます

ようやく入院までこぎつけましたがまだ続きます。
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by giulio71 | 2008-10-25 23:53 | イタリア入院生活の思い出

イタリア入院生活の思い出その3

連れてこられた病院はOspedale Luisi Sacco ミラノ西北部にあるイタリア屈指、いやイタリア1の病院だと何人かのイタリア人が言っていた。イタリアの最新医療は日本にまったく引けを取らないものだが、その技術と設備を持っているのはごくわずかな病院だけで、一般的な病院の中にはまったく目を当てられないものもある。
そしてこのSaccoは清潔さはもちろん近代的な設備において、診察を待っている段階から既に不安を抱かせない。先日行った病院とは雲泥の差であった。

受付の窓口にパスポートを提示し、気持ちの良い日差しの入る待合ロビーに行くと、待つこと程なく、車つきのベッドがやってきた。 二人の看護士に丁重にその上に載せられた私は付き添ってくれたTちゃんにお礼と別れを告げ、治療室へと運ばれた。まるでアメリカの医療ドラマERのようなプロフェッショナルな対応にすっかり安心した私。前回の病院のようなぞんざいで、なげやりな検査でなく、尿がかなり黄色く汚れていることや、エコーで見ながら腎臓に炎症があることを教えられた。病名はやはり思っていた通り腎盂炎だった。つまり膀胱炎の原因である大腸菌が膀胱からさかのぼり、腎臓にまで達して炎症を起していたわけです。ドクターにサンパオロで尿結石と診断された話をすると、
インポッシービレ!”そんな訳ないでしょう!という言葉が返ってきた^^;
すぐさま入院が決められ、もうろうとした意識の中で泣けるほど嬉しかったのを覚えている。私は保護されたのだ。もうこれで一人ベッドで自分がなんの病気なのか、どうすべきか、などと考えなくていいのである。日本で処方された抗生物質を飲み終えて一ヶ月後の11月4日、戦いは終わった。

さて、病室は2人部屋。奥の窓ぎわにはコロンビア人の女の子が私と同じ病気で入院していた。部屋はとても明るく清潔で広々としていた。窓の外には庭の木々の紅葉が美しく、その奥にはなんとヘリポートまで見えた。成る程ね、イタリア1の病院だけあって遠くからも患者が輸送されてくるわけだ!か~っこいい!!!
イタリア1のホテルに泊まれる機会はこの先も一生ないかもしれないけれど、私がいま泊まっているのはイタリア1の病院だと思うとムショウに嬉しくなってきた!
不安から解放された喜びと入院という新しい体験で具合が悪かったのにも関わらず、私はかなりハイになっていた。隣のベッドのコロンビア人の女の子もシンパティカ(感じが良い)だし、彼女がウェイトレスの仕事をしている話などを聞いて、ますます楽しくなってきた。
だが、面会時間になってから、彼女を訪ねてくる男性二人の様子を見て、私の心にある疑問が芽生え始めた。

まだ続いちゃいます。。。


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by giulio71 | 2008-10-24 08:56 | イタリア入院生活の思い出

イタリア入院生活の思い出その2

前回からの続きです。
前回書き忘れましたがこのお話はすべて実体験を基に書かれております。


さて、治療室に入った私を待っていたのは若い手術服を着た若く、そこそこ美しい女医と看護婦数人。
質問に対して私は、膀胱炎だった為に抗生物質を飲んでいた事、その後疲れやすくなり腰の上が重苦しいこと、4日前から高熱が下がらない事などを説明した。

採血と尿検査をした後に下された診断は”尿管結石”だった。てっきり腎盂縁(じんうえん)だと思っていた私は予想外の診断に驚き、”でも痛みはないし、そんな気はしないけれど?”と抗議したのであるが、女医は明るく優しく、”薬を飲めば大丈夫よ。それでダメだったらまた戻っていらっしゃい。”と瞬く間に薬の処方箋を書き、それを渡された私は帰る他に道はなかった。
高熱を押して病院に来て2時間以上待った挙句の結末としてはかなり哀しいものだったが、もうどうにもならない。帰されるのは重態でない証拠、と自分を慰めジュリオが買ってくれた薬とともに帰宅し、早速薬の服用を始めた。

翌日、なんと熱は下がっていた。高熱の後でまだ頭がもうろうとしていたが、そこへ電話が掛かってきた。同居の大家からで、彼女は数日前にマル高出産をしたのだが、明日、退院して赤ちゃんと戻ってくるという。 この大家、実は結婚しておらず、赤ちゃんの父親は同居はしていたものの、不在の日が多かった。台所とリビングへ行ってみると、この数日の間に埃どころか飼犬の抜け毛まで山のように溜まっており、とても赤ちゃんを連れて帰れるような環境ではなかった。大家に対しては暖房問題を始めいろいろ思うところはあったけれど、まずは赤ちゃんをお迎えすべく、病み上がりの私はけなげにもほうきで清掃を開始。翌日戻ってきた大家を感動させることに成功した。確かあの夜はスプマンテを抜いてお祝いしたような記憶もあるのだが今となっては定かではない。

だが、元気だったのはここまでで、再び高熱が戻ってきた。数日前よりさらにひどく、もはや39度を下がる事はなかった。やっぱり誤診だったのだ!あの薬は飲むべきではなかった。。。 また別の救急病院に行かなければならないのは確かだけれど、もうどこに行けばいいのか分からない。 ここで掃除に気を良くしていたのか大家が立ち上がった。”Saccoがいい!あそこなら外国人慣れしているし、遠いけど行く価値はある。私が連れて行ってあげる!” 
で、でも。。。と私は言った。”あなたお産をしてからまだ5日目なのよ。どうやってあなたがもう歩けなくなっている私を車であんな遠くまで。。?”事実、である。だが、彼女は生後5日目の未熟児に近い新生児をお粗末なチャイルドシートにくくりつけ、他に同居していた日本人のTちゃんに手伝わせて私を自分の世にも汚い車に乗せると(ここも犬の抜け毛だらけだった)慎重に運転を始めた。

やがて着いた病院の救急部の入口前に車を止めた大家は私を降ろそうとしたのだが、私はもうどうしても立ち上がれなかった。大家はかなり大柄な女性で私をひきずるように持ち上げ、(繰り返しますが産後5日目)自分の肩に背負うように車から降ろすとまるでここがアフガンの戦場であるかのような大声で叫び出した、
早く!誰か来て!ここに病人がいるのよ!歩けないわ!誰か手伝って!”
あっという間に救急隊員が駆けつけてくるのが見えたが、彼女はひるまずに怒鳴り続ける、
何やってんのよ!歩けないのが分からないのっ!?車椅子よ!車椅子を持ってきて!!!”ようやく車椅子に乗せられた私が、”この大家ならあのSF映画、エイリアンの主役をシガニーウィーパーに代わってやれるかもしれない”などと一人で納得しているうちに彼女は同行してきたTちゃんに”じゃあ後はよろしく”と言ってあっという間に車で走り去っていった。ちらっと見えた顔は疲労に満ちていたが、目だけは満足げにキラキラ輝いているのが遠目にもよくわかった。
この女、タダモノではない。

また次回に続きます。


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by giulio71 | 2008-10-23 05:15 | イタリア入院生活の思い出

イタリア入院生活の思い出1

ミラノが肌寒くなって、木の葉が落ちてくると決まって思い出すあの入院生活。
思えばイタリアで暮らしてもやっていけそうだと思った決定的な出来事だったかもしれない。


私がミラノに留学にやって来たのは2001年春。実にいい加減な留学準備で、9月に一度帰国した私は、日本の婦人科でがん検診を受けたついでに膀胱炎にかかっていると診断され(自覚症状なし)抗生物質の服用を勧められた。膀胱炎とは実は長い付き合いで、その数年前にモロッコ→イタリアを一人で放浪しているうちに発病し、血尿が出たこともしばしば、その度に水を大量に飲んだり、イタリアの薬局に泣きついてはよくわからない薬を飲んだりしてしのいできたのだった。

けれど、今回はこれを最後にこの病気とは決別したいと決意し、日本の婦人科で処方された抗生物質を飲み始めた。服用期間が2週間近くもあったので、後半はイタリアに戻った後でその服用を完了。
それが10月の1週目。これでこの病とは縁が切れたはずだったのだ。

さて、ミラノに戻ったものの、借りていた部屋の暖房設定は大家自身が貧しく節約していた為に極めて低く、おまけに窓が古い家だったので隙間風だらけ、10月だというのに、家の中で厚手のセーターを着てもまだ震えるほど寒い日々だった。語学学校も問題のあった前の学校とは別れ、別の学校に通い始めたが全体に冷たいムード。新しい先生もかなりきつくてミラノ生活、どうもばら色とは程遠かった。そんなストレスも溜まってか、ひどく疲れやすくなり、自分でもどこか具合が悪いと思いながら思い当たることもなく、学校に行き、かろうじて宿題を済ませる日々だった。

だが状態は更に悪化、10月半ばを過ぎると立ち話をするだけで腰の上辺りが重苦しくなり、その後、ついに発熱に倒れた。
数日間、高熱に震えながら、どうしたらいいのかを考えるのは不安以外の何物でもなかった。滞在許可証はあったものの、保険証はない。唯一持っていたのは滞在許可証申請時に提示を義務付けられていたイタリアのINA保険だったが、手元にあるのはその払い込み証のみで、通常保険を掛ける時に付いて来る定款のようなものは一切なく、しかも問題発生時に問い合わせる連絡先すら書いていなかった。いくら留学生用の安い保険とはいえ、これで保険を掛けたといえるのだろうか? 東京海上のオフィスならミラノにあったけれど、日本から保険をかけてはきていない。それでももしこのままここで死んだら、ということも考えて、東京海上のミラノ支店にすがる思いで電話をした記憶がある。
電話に対応してくれた日本人女性はとても親切で、日本人医師の電話番号を教えてくれた。そして、こんな電話があったことを記録しておく、と言ってくれた。

高熱が出て4日目、ついにジュリオが救急病院に連れて行く、と言ってくれた。この頃まだ彼とは付き合い始めたばかりだったし、彼も外国人を救急病院に連れて行くと費用がどうなる、なんてことは全く知らなかった。ただ一向に快方に向かわない私を見て、風邪のたぐいではなさそうだと腹をくくった訳である。
そして連れて行かれたのが、サンパオロという大きな総合病院のプロントソッコルソ(救急救命部)であった。

さてジュリオと共にふらつく足取りで病院に着いたのはよかったが、あの高熱のあるもうろうとした私の目にも、そこがろくでもない病院であることは一目瞭然だった。夜の10時だというのにほぼ満員の待合室は薄暗く、殺伐としていた。そこにいる人々といえば、ぐったりした老人や、今交通事故をやってきたばかりの若者、殴られて顔から血を流している男に泣いている子供、そして時折タンカで運ばれてくる血まみれの人間など、実にもう何でもアリの空間。だが今更帰るわけにも行かない。
そして、そこで待つこと2時間以上、ついにアナウンスが私の名前を呼び始めた。

次回につづく


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by giulio71 | 2008-10-22 05:53 | イタリア入院生活の思い出



ミラノにあるイタリア料理教室より
S M T W T F S
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ジュリオの料理教室のご案内
 メニューなどの詳細はこちらをクリック↓
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ミラノ近郊でお着物着付け、いたします。着付けのレッスンも出来ますので料理教室までご連絡下さい。
詳細はこちら
http://kimonitaly.exblog.jp/
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